2009年7月1日水曜日

今、もう一度「てんびんの詩」!










皆さんは、てんびんの詩って映画ご存知ですか?
多くの方は研修などで見られて経験があるのでは。

物語は近江商人の家に生まれた主人公・近藤大作が小学校を卒業するところから・・
大作は父親から祝いの言葉と共に、包を贈られる。中に入っていたのは鍋蓋だった。
父親は彼にそれを売ってこいといいます。
大作の前には商いの心を、近江商人の魂を模索する辛苦に満ちた日々が待っていました。
実家の店に出入りする者の家を回るが、親の威光を嵩にきた押し売りのような商いがうまくゆくはずもありません。
見知らぬ家を訪ねても、けんもほろろ、ろくに口さえきいてもらえない。
親をうらみ、買わない人々をにくむ大作!

父が茶断ちをし、母が心で泣き、見守る周囲の人々が彼以上につらい思いをしていることに、まだ大作は気づかない。

時には甲賀売薬の行商人にならいもみ手の卑屈な演技をし、時には乞食娘をまねて、農家の老夫婦を泣き落としにかかったりもするが、しょせん、うそとまねごと。

心のない商いは人々の反感を買うだけだ。

いつしか大作の目には涙が…。
そんなある日、農家の井戸の洗場に浮んでいる鍋をぼんやりと見つめながら、大作は疲れ切った頭で考える。
鍋蓋が無うなったら困るやろな。困ったら買うてくれるかもしれん。
しかし、その次の瞬間この鍋蓋も誰かが自分のように難儀して売った鍋蓋かもしれんと思う。
大作はただ無心に鍋蓋を洗いはじめる!

近づく足音にも気づかない大作。
女が問う。「何で、うちの鍋、洗ろうたりしてる。お前どこのもん。」
大作、思わずその場に手をついて「かんにんして下さい。わし悪い奴です・・・
なんにも売れんかったんやないんです。モノ売る気持ちもでけてなかったんです。
そんな三ヵ月やったんです。」
彼の顔をふいてくれる女。それは、母親が実の子にする愛の行為そのものだった。
そして、大作が我が子と同じ十三歳と知った女は、彼の鍋蓋を売ってくれという。
売れたのである。
はじめて、売れたのである。

売ればわかるといった父親の言葉の意味を大作は知る。

売る者と買うものの心が通わなければ、モノは売れないということを!!